小寺卓矢・森の写真館 top_image
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春だもん

■新刊『だって春だもん』出版のご挨拶・お知らせ作業に追われています。4月1日発行の本のお知らせが今頃になるなんて、ほんと、怠惰な人間ですみません…。

■もう各地の書店に並んでいるようですね。うれしい限りです。是非皆さんもお求め下さいね!

■ところで、その際にはぜひともお住まいの近くの書店さんでご注文下さい。ネット通販もとっても便利なのですが、ぜひぜひ「街の本屋さん」で。

■昨今、書籍販売の業界もとっても大変なご時世らしく、いわゆる「街の本屋さん」がどんどん閉店しているそうです。

■小寺卓矢の著作程度でどうこうなるような問題ではもちろんないのですが、でも、できればあなたの街の(できれば個人経営の)「本屋さん」)でお求め頂ければ、本当に嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。

■さてさて、休憩終わり。仕事に戻るかな…

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| | 13:28 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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スイミーとミサイル狂想曲

■旅の帰り、舞鶴から小樽へのフェリーでは、くしくも「先ほど北朝鮮から”飛翔体”が発射された模様ですが、当船の航路には影響なく…」などという船内放送を聞くことになった。

■移動移動の毎日で、いわゆる報道メディアからは久しく離れていたこの2週間ではあったけれど、そんな僕の耳にも時折、件の「テポドン狂想曲」は入ってきてはいた。

■そのたび、僕は、今回の講演旅行に同行させたお気に入り絵本の一冊「スイミー」(レオ=レオニ著)を思い出しては、心がどんよりと濁りそうになるのを押しとどめるのだった。

■「スイミー」の舞台は、魚たちの暮らす海。しかしそこでは、”ミサイルみたい”に突っ込んでくるマグロの「恐怖」が小魚たちを支配している。

■でも、主人公である小魚のスイミーは、そんな状況にありながらも、じつはこの世界というものがたくさんの美しくて素敵な物事で満ち満ちていることに気づいてゆく。

■その後スイミーは、「恐怖」にすっかり弱められ片隅に追いやられてしまった仲間の小魚たちに出会う。そして彼らを前にして、”かんがえた。いろいろ かんがえた。うんと かんがえた”。

■そのすえにスイミーは、仲間達に対し、「恐怖」と正面から向き合うことを呼びかる。

■そして最後にスイミーはこう言うのだった。”ぼくが めに なろう”。

■「恐怖」とは何か、また世界とはどんなものなのか。そして、そこにおいて他者と共にどう生きてゆくのか。それを、自分の頭でしっかりと”考える”こと。

■眼を閉ざし、恐怖が世界を支配するのに任せてしまうのではなく、世界の本当の姿というものを”自分の眼”でしっかり凝視し、世界を満たす真に大切な事柄を”見抜いてゆく”こと。

■今回の旅では、時折耳に入る「狂想曲」の滑稽さに辟易とさせれたからこそ、なおさらこのレオ=レオニという作家の奥深さを強く感じることとなった。

| | 23:26 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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白川静

■今日も読書ネタで…。

■今日午前は、帯広市内の某小学校で行われた劇団Kの公演の舞台撮影仕事。

■これ、以前からたびたび関わらせていただいている仕事なのだけれど、個人的に、お声を掛けていただく事が本当に嬉しいお仕事。

■プロによる舞台演劇を生で体感できること自体も当然大きな楽しみなのだが、さらなる嬉しい”役得”は、上演後の劇団員達のミーティング(反省会)を垣間見れることかもしれない。

■プロの表現者達が、一発限りのパフォーマンスを行った直後に、自分たちの表現を更に更に研ぎ澄まそうと真剣に話し合いを重ねる、その緊張感に満ちた現場に同席させてもらうということ。

■これを役得と言わずして、なんと言おう。

■ところで。

■開演前、控え室で演出家Nさんに「よろしくお願いします!」とご挨拶したとき、Nさんの前に置かれていた本に思わず目が留まった。

■その2冊の本は、どちらも漢字学の大家・白川静氏に関する新書だった。

■「白川漢字学に関心があって、いま読んでるんです。この本は、白川さんについて他の著者が書いた新刊ですけれど、白川さん自身の著作代表3部作『字統』『字訓』『字通』を買おうかどうか、いま迷っているところなんです」とNさん。

■おや、なんと!これはまた不思議な偶然。

■じつはこの僕も、”ことば”というものへの関心から、ちょうど最近、俄然白川漢字学に興味が湧いてきたところ。

■Nさん同様、僕もまた、まさにその代表3部作を買おうか買うまいかを悩みに悩んでいる最中であり(それぞれが結構お高い本なので…)、つい数日前などは、撮影に向かう道すがらに立ち寄った書店で、悩みついでに1時間も『字訓』や『字統』を立ち読みしてしまったくらい、関心がある。

■で、開演前の短い時間ではあったけれど、Nさんから白川漢字学のユニークさや漢字・ことばの面白さについてあれこれ話をお聴きする事になったのだった。

■タイミングとしてはあまりに出来すぎで、なんだかおかしいのだけれど…。

■しかし、もうこれは、「さあ、迷ってないでお買いなさいナ」という天の囁きに違いなく…帰りに書店に寄って、『字訓』ともう1冊白川著作をエイヤ!と購入。

■積読本がまた2冊増加か…。でも、『字訓』に関してはそもそも辞書だから、正確には積読本には該当しないか。

■それにしても、ああ、ページを開くの、楽しみだなぁ!

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ところで、今日上演された劇団Kの演目の重要なテーマの一つが、つい先日この日記(12/8付「山尾三省著『ここで暮らす楽しみ』)に引用させてもらった山尾三省氏のことばに込められた価値観ととても通じるものだった事にも、不思議な気持ちになった。様々なものごとがゆるやかに繋がっていく不思議。

| | 21:26 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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読了2冊

■冬の撮影は、日が短いだけに早く切りあがる。で、それから後、寝るまでの時間が長い。

■だから、冬に撮影に出かけると、夜にたっぷり本が読める。(家に居るときには、かわいいチビ小猿2匹が”トーチャン、トーチャン!”とまとわりついてくるので、本などゆっくり読めない…)。

■一昨日までの数日間の撮影行では、すでに半分くらいまで読み進めていた山尾三省著『ここで暮らす楽しみ』を一気に読了。その勢いで、福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』を、これまた一気に読了した。

■方や詩人が島での暮らしを綴ったエッセイ集、方や分子生物学の第一人者である大学教授がその専門分野に関わる事柄を綴った科学ノンフィクション。

■しかし、切り口こそ大きく違えども、どちらも主題は「(生命体として)生きる」ということの仕組みや意義・意味に関する根源的な問いかけと、それぞれの立場からのその問いに対する思索の表明であったように思う。

■”積ん読本”の中から偶然この2冊を選んでもっていったのだけれど、面白い符合だ。

■でも、ま、これらの本を手元に置いたという時点ですでに”僕の関心事”というフィルターが掛かっているわけだから、主題が似ていても当然といえば当然か…

■それにしても、どちらの著書においても、「生きる」ことを考えるときに鍵となる概念として、いってみれば「空(くう)としての存在」というものに言及していることが、とても興味深く、こころに響いた。

■特に『生物と…』のなかで知らされたこととして、時代の最先端を行く生物科学が20~21世紀に到達した生命の定義の要点が、要するに「固定化された不変の実体としてではなく、むしろ絶えざる”流れ”としてある在り様(そのようにあり続けようとするシステム)」というものであったという事実には、うーむと唸ってしまった。

■僕は読了後直ちに、以前(10月22日付)この日記のなかでも引用した『方丈記』の冒頭「ゆく河の流れは絶えずして…」の一節を思い出さずにいられなかった。

■13世紀初頭に書かれたとされる随筆文学と、21世紀の分子生物学と…。ふーむ。

■ではでは。

■かくも拙いこの僕は、おこがましくもこの時代の片隅において、写真という媒体で、何を現し(著し/表し)、何を言う――?

■ともあれ、どちらも面白い本だった。そして、それにも増して、面白い読書体験となった。

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で、この日記を書き終えたたった今、自宅で新たに読み始めたJ.ブロス著『植物の魔術』(八坂書房)の冒頭辞の1行目に目を通して、また、ウーム。

そこには著者の挨拶として「私は自然研究家であり、また禅僧でもあるので、…」云々。

僕もいっそのこと、本を読むより禅の修業でもはじめたほうが、ことが早いかしらん…?笑

| | 00:13 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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山尾三省「ここで暮らす楽しみ」

■知人から借りて、いま、山尾三省著「ここで暮らす楽しみ」(山と渓谷社)を読んでいる。

■詩人また思想家として著名な山尾氏については、じつはかなり前からさまざまな文献や会話のなかで見聞きをし、その人物像や思想の輪郭はぼんやりと知っていた。

■しかし、かなり高い関心をよせていた人物だったのにも関わらず、なぜだかいままで氏の書いた文章やことばそのものに触れる機会を僕は持たずにきた。我ながら、不思議だ。

■さて、こうして改めて氏のことばに直接に触れてみると、非常に共感を覚える部分が多くいことに今更ながらに驚く。

■無論、山尾氏は、思いや実践においては、僕のようなものが「共感」などといってはおこがましいほどの大先達なわけだけれど…(ちなみに山尾氏は故人である)。

■特に、”自然”との対峙のなかにおいて、彼が何を実践し、何を見つめようとしていたのかという部分に関しては、僕などはもうとにかく、合点!と膝を叩くしかない。

■この著書(アウトドア雑誌である月刊『Outdoor』に’96~’98年に連載されたエッセイをまとめたもの)から一つだけ、以下に氏のことばを抜書きしたい。昨日読んだページのうち、もっとも響いた箇所だ。

■ただ、この一文、様々な思索を経て氏が到達した「アニミズム」という考え方(価値観)についてのある程度の理解がないと、少し解り辛い、もしくは誤解を生じる恐れのある一文であるかもしれない。

■特に「神」または「カミ」ということばについては、なにかと”フィルターノイズ”が多くかかりがちな概念であるので。まぁ、本書の内容を全てここに紹介できればそんな心配は杞憂に終わるのだけれど…(本書では、なぜ山尾氏がわざわざ「神」と「カミ」を区別しているのかも良く解るように説明されている)。

■宗教的なテイストを含む論説にアレルギーのある方には、できれば、いわゆる既存宗教(特に一神教)の”神さま観”から切り離してこの一文をご一読願えれば、幸いだ。

■僕としては、特に後段の一文は、前々回のこの日記(12/5付「11月撮影分」)への補記ともしたい。そこに込められた自然観のエッセンスこそが、僕があの日記につけた舌足らずで不親切で思わせぶりなコメントを力強くフォローしてくれるように思う。

■またそれは、拙著「森のいのち」の最後のページに込めた思いにも、じつは通低している。

(なおさら解り辛いゎ…と言われたらそれまでだけど…笑)


以下、抜粋転記----------------------

  ぼくがアウトドア、あるいはアウトドアライフというこの時代の潮流を深く肯定するのは、この個人、あるいは孤人にさえ閉じこめられている生命が自然という無限のカミの只中にさらされることによって、自分の生命もまたひとつのカミであり、カミが与えてくれたものであることに気づいて、その生命力がより充実し深まる可能性にさらされると考えるからである。
  自分とは何か、を尋ねて行けば、それはきっと神ないしカミに到る。神あるいはカミとは何か、を尋ねて行けば、それは必ず自分に到る。

 山尾三省著『ここで暮らす楽しみ』より抜粋

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春日山・柳生街道の石畳の朝
(奈良県/07年8月)


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春日大社
(奈良県/07年8月)

*写真は山尾氏の著作とは直接関係はありません。

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