小寺卓矢・森の写真館 top_image
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ETV特集「吉本隆明語る」

■観てよかった、ETV特集「吉本隆明語る」。

■語られていた内容に少なからぬ刺激を受けたけれど、それだけに、ではなぜこれまでのあいだ僕は”吉本隆明”と接点を持たずにきてしまったのか、それがとても不思議に思えた内容でした。

■いや、不思議といってはいけない。それはつまり僕の探求不足の故に他ならない。

■読むか。読もう。

■多分、それを経て僕の写真行為はまたひとつ根を増やし、場合によっては、全体的な根付きの深度を増すことができるかもしれない(写真に限らず、生活そのものに関しても)。

■たった1時間半の放送を観ただけだけれど、なんだかそんな気がする。

■ついでに、朝の新日曜美術館「尾形光琳」も良かった。ただしこちらは、仕事の都合で途中までしか観られず残念…。
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| | 23:49 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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人を大事にできる人

■昨夜まで撮影に出かけて留守にしていたので、今日の午前中はあちこちへメール連絡のまとめうち。

■いつものことだけれど、ちょっとした雑談程度のメールにどうしてか必要以上の字数を費やしてしまう。こまったクセで…。

■午後になり帯広へ。今日、深川市から友人Kさんが用事で帯広へくることになっていて、会おう!ということに。

■彼女は、本業はレストランのオーナーシェフなのだけれど、それ以外に、じつにユニークかつ多様な活動を展開するバイタリティあふれる女性。知人である児童文学作家の朗読会を彼女が企画したことがきっかけとなり、去年、人づてに知り合った。

■15時にKさんの宿泊先のホテルで待ち合わせ、そのまま車で市内の印刷会社Sへ。

■Kさんは先日、この会社が出版する某雑誌の人物紹介記事でその活動を大きく取り上げられたばかり。で、「せっかく帯広にいくのだから是非編集部を訪ねたい!」とのことだったので、ついでに僕も一緒についていくことに。(じつは僕もまたこの雑誌に号違いで取り上げてもらったことがあるので、そのお礼のご挨拶も兼ねて)

■S社に着き、編集長Mさん、S社社長と談笑するKさん。Kさんのこれまで様々な取り組みの報告と、今後の”野望”が語られる。

■その話を聞けば聞くほどに、僕はこのKさんという女性の類稀なる特質につくづく感心してしまう。

■とにかく彼女、様々な場面や出来事のなかで生じた”人とのつながり”というものをとことん大事にできるひとなのだ。

■地域の人のつながり、友人や知人とのつながりを、こころの底から、利害関係など抜きにして大切に大切にしていることが、ことばの端々から感じられる。それも、相手がどんな立場の人であろうと、どんなかかわり方をしている人であっても、その相手への飾らぬ尊敬の念を忘れない。かといって、彼女自身が卑屈に小さくなることはない。

■自然体。そして、いい意味での「無邪気さ」、つまり邪気の無さ。それをここまで他者との関係のなかで快く保てる人物はそういないように思う。

■それだからだろう、彼女が行動を起こすときには、そこにどんどん人が吸い寄せられ、繋がってゆく。そして、その人たちとの出会いを彼女はまたしても大切にする。

■うーん、やはり凄い人だ。

■それに引きかえ…何事にも理屈ばかりこねて、ちいともハートのこもらぬ、卑屈癖の染み込んだ我が身を振り返り、僕は小さくなる。

■僕は、特に”他者との関わり”においては、昔からずっと自分自身の中にネジレたものを抱えつづけてきた。

■北海道に来てからだいぶそのネジレがほぐれてきてようにも感じるのだけど、しかしこうしてKさんのような人が放つ”真っ直ぐな光”に照らしてみると、そこにはやはりかなりイビツな影が浮かび上がってくる…。

■他者と自分を比較して自分に無いものをやみくもに羨んでも仕方が無いことはわかっているし、そもそも、人はそれぞれ十人十色の凹凸を抱えてながら生きていることも、わかる。全き珠の如き完全無欠な人物などがその辺にごろごろ居たら、逆にキモチワルイではないか。

(そして、結構肝心なことかもしれないが、様々な側面での人格的ネジレとイビツをもっている人間だからからこそ僕は”写真”なんぞを撮っているのだろうな、とも思う。そのネジレが中途半端な故に”写真が突き抜けない”という悲しい事実も一方にあるけれど…)

■しかし、自己卑下の無意味・無価値はわかりつつも、今日はやはり、僕は小さくなる。せっかく素敵なKさんに久しぶりに会ったのに、こんな後ろ向き日記を書いたりする。

■こんな気持ちになるのも、冬だからかなぁ…。冬って、だいたい毎年こんな”後ろ向き”体質になるんだよなぁ…。窓の外ではまだしんしんと、十勝らしからぬベタ雪が舞い落ちている。

| | 23:36 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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伊藤健次

■僕の好きな写真家の一人に、北海道在住の伊藤健次さんがいます。北方圏の自然や文化を中心に撮影を続ける写真家です。

■歳は僕の3つ上。僕と伊藤さんとは、写真を離れたところでも共通の知人が多く、時折連絡を取り合う友人でもあります。しかし同時に、伊藤さんは、常に僕の遥か先を歩み続ける、僕の尊敬すべき先輩です。

■今日7日の北海道新聞に折り込まれた別刷り(北海道新聞広告特集「めざそう!エコアイランド北海道」)に、数人の自然写真家と共に、伊藤さんの写真作品とコラムが大きく掲載されていました。

■そこに書かれた文章を読んで、僕は改めて伊藤健次という人の眼差し向け方に共感を覚えると共に、彼の表現者としての力に感銘をうけました。

■洞爺湖G8サミットの開会日に合わせて発行されたこの「地球にやさしい・エコプロジェクト」なる企画別刷りのなかで、他の登場論者・筆者はおもに、自分の専門フィールドの中で感覚しえた環境破壊、特に「温暖化」への危惧を話題の中心に据えていました。

■しかし、伊藤さんは一味違いました。以下に、彼の文章を中略しながら抜粋します。

「写真は日高山脈中央部のエサオマントッタベツ岳です。…日高山脈は…最高峰の幌尻岳でも標高2052mと世界の中では決して高くないけれど、稜線には「カール」が数多くあります。…カールでは…野生の息遣いや太古からの果てしない時間が折り重なった、静寂な気配が漂っています。…山の懐を抜けてカールに佇んでみると、山頂よりも人知れぬ無数の源流や、それを取り巻く山の広がりこそ大事だと気づかされます。」

■このあと、伊藤さんの文章もまた他の筆者同様に、たとえば日高横断道路による環境変化や、ナキウサギを例にとった「温暖化」「環境破壊」への危惧を紹介する文へと続いてゆきます。

■しかし僕は、直接的に環境問題を指摘するその後半部分よりも、抜粋した前半部分の文にこそ、伊藤健次の表現者としての独立性、眼差しの深さを感じ、感銘を受けるのです。

■お山のてっぺんよりも、裾野の存在を。そこに連なる無名な個々の息遣い、折り重なった時間(歴史)を。世界の中で高さ比べをするよりも、いまこの私を取り巻いている広がりを――。

■…いささか、読み込みすぎかもしれませんね(笑)。僕のいつもの悪い癖です。

■しかし、この文脈のなかで敢えて「世界」という単語を使ってみたり、「山頂」にフォーカスを当ててみたり…。僕はそこに、伊藤さんの世を見据える眼差しを感じずにはいられないのです。

■巷の「エコ・サミット・フィーバー」に乗じるかのように発行されたこの別刷りへの寄稿のなかで、あくまでも自分のフィールドを逸脱せずに、そしてじつにさりげなく、山渡る風のような爽やかさで「山頂(サミット)って、何だろうね」と問えてしまう伊藤さんのセンスに、やっぱりこの人はタダ者ではないな、と思うのです。

| | 12:03 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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塚本こなみ

■午前中、洗濯物を干しながら、テレビを見た。NHK「課外授業、ようこそ先輩」。ゲストは樹木医の塚本こなみさん。

■母校の小学生達に、校庭に生えている木の中から「自分の木」を選んでもらうことから授業が始まる。そして、子ども達は1ヶ月間、その木と折々に向き合う。

■子ども達、素敵な体験をしたなぁ。

| | 16:20 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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釧路

■10日は、日中ばたばたと在宅仕事を片付けて、夕方、釧路へ。昨年末からメールのやり取りをしているFさんと会うためだ。Fさんは、いつか僕のスライド上映会を釧路でやりたいと思いを温めてくれている。そのことの打ち合わせも兼ねて、ある会食の席で久しぶりの再会を果たした。

■Fさんと会うのは実に8年ぶりだ。しかも、8年前の初めての出会いにしても、阿寒で行われたあるイベントで名刺交換をした程度のもので、会話らしい会話もほとんど持たなかった。

■けれど、一昨年僕が出演したTV番組を観、また雑誌連載を読むなどして、Fさんは僕を思い出してくれたそうだ。そして、このHPを通じて連絡をくれた。

■一表現者としては、スライド上映の機会を与えてくれたこと自体がとても嬉しい。しかしそれ以上に、ほぼすれ違っただけともいえるような一人の人間の存在を8年間も心に留めていてくれ、その長い時間を越えて、こうして再会のきっかけを作ってくれたということが、僕にとっては本当に嬉しい。

■短い時間ではあったけれど、Fさんと話をした。熱い思いを持った人だ。生きるということ、いのちというものに対して、とても真摯に向き合っている。それも、肩肘をはることなく、格好つけることもなく。

■こうした人の話を聞かせてもらうと、とても心地がよくなる。また、怠惰で後ろ向きな生き方になびきがちな自分の背筋がしゃんと伸びるような気もする。

■何を話したのか、その内容や過ごした時間の長さではなく、言葉や振る舞いににじむFさんの人柄が、きっとそうさせるのだろう。そうした人と再会を果たすことができ、おまけに、これから一緒に何かができそうだ。嬉しい。

■じつは、その会食の席には、これも会えて嬉しい釧路出身写真家Nさんがいた。というよりも、僕が飛び入りさせてもらったその会食の席はそもそも、Nさんの講演会の打ち上げ交流会だったのだ。

■個人的には、今のアフガンのことやイラク・イランのこと、南米諸国の現在、Nさんの戦争観や平和観など、聞いてみたいこともいろいろあったのだけれど、残念ながら深い話はできず。

■夜もすっかりふけたので、会はお開きになり、僕は翌日の撮影のため阿寒湖方面へ。

■釧路の平原を北へとひた走る道中、あまりにも美しい満天の星に、ときどき車を停めてはヘッドライトを消し夜空を見上げた。いや、見上げる必要はない。ぐるり地平線の際からもうすでに星空なのだ。

■放射冷却で冷え込んだ冷気が体表からキンキンと染み入ってくる。ああ、北海道の冬だ。北の冬だ。ぶるっと身震いしながらも僕はなんだか無性に嬉しくなり、その場所で車中泊することを決めると、いそいそとシュラフにもぐりこんだ。

| | 01:47 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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