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映画「海炭市叙景」いちぶネタバレ

ちょっと前に「海炭市叙景」を観た。とてもよかった。疲れたけれど。

熊切監督の作品は、観ていてくたびれるのだけれど、それだけに、なかなかよい映画作家だな、と思わせる。

劇中、数カ所、設定や演出で違和感や不満が残る部分はあったものの、総じて大変見応えがあったし、”受け取り応え”があった。

【このあと、一部ねたばれ】

















いいシーンはたくさんあったのだけれど、個人的には、バーを出たところで酔っぱらいオジさんが叫ぶ「解んねえよ、お前なんかには、解んねえよ!」という(多分そんなような)台詞と、そのあとに、関わった二人が別々に夜の暗い町に消えていくシーンが印象に残った。街灯に照らされ鈍く光るマンホールの蓋の印象とともに。

この映画を見る前にテレビで洋画「バベル」を観て感じていた不満があったからこそ、余計にこの映画の良さを強く感じたのかもしれない。


…それにしても

どうして僕が映画を観に行くときには、最近必ずと言っていいほど、ごく近い席に、鑑賞中にレジ袋をかしゃかしゃならす人や、「あぁ、あの俳優さん○○にも出てたよね。お、この場所”湯の川”だね。俺、まえにあそこ行った、行った!」と連れ合いとの囁き合いがとまらないカップルが座るのだろう…(笑)。それがなんとも残念で…。今回は特にじっくり静かに観たい映画だったな。
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| 映画 | 22:39 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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ポニョ4

■いまようやくわかったー!

■ポニョに対して感じていた曰く言い難い感慨を、僕はずっと、なにか別のもので例えられそうな気がして、モヤモヤと思いをめぐらせていたのだけれど、それがなんだか、いまわかった。というより、思い出した。

■それは、僕が絵本「とん ことり」(筒井頼子作・林明子絵)を読み終えるたびについ口にしてしまうこの感慨でした。

「そう、そうなんだよ。この最後の2ページなんだよ。これがあれば、もうそれでいいんだよ…」。

■念のために書いておくと、その感慨が意味するところは、「とん ことり」においては最後の2ページ以外が全く不必要・無意味だ…などという意味ではありません。

■むしろ、それら前段のページで丁寧に積み上げられた作者達の思いや意図、いや、それどころか、世の中にあまた在る優れた絵本の存在意義の多くの部分が、このわずか2ページ(2シーン)の中に抱合されかねないくらいに、「根源的に大事」なページ(シーン)だ、という意味です。

■特に、宮崎氏の言うとおり、この”神経症と不安の時代”においては。

■うーん、なんだか、なおさらよくわからない補足ですね…。

■ともあれ、僕にとってのポニョ(特に前半30分)は、「とん ことり」の最後の2ページだったのだ!ということが、いまわかったのでした。すっきりした!

■ちなみに、僕は「とん ことり」においてもやはり、最後の最後でグッと目頭を押さえたくなります。はは。かなりな単純脳味噌ですね。でも、共感してくれる人、少数ながらもいるんじゃないかなぁ…。

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追記しちゃおう

■ポニョという作品が「となりのトトロ」への回帰だとする意見を何人もの人から聞くのですが、僕にはそれ以前の「パンダコパンダ」のほうがより近いのではないかと思われます。

■トトロ作中の世界観のように、いわば、あの世とこの世を行ったり来たり、というよりは、もう冒頭から登場人物全員であの世へ行ったっきり。あちらの世界こそ「この世」だもん!の世界観。

■そして、じつにシンプルに全編を充たす「わっはっはー、だもん!」の幸せ感。(ポニョには少し複雑さがあるかな…)

■僕はトトロも好きですが、パンダコパンダも「いいなぁ」と思います。

■特に、みみちゃんの「素敵!」という口癖がイイ!それこそ「このコ、なんて素敵なんでしょ!」と、誰かに手紙をしたためて教えてあげたくなります。絵本「まりーちゃんとひつじ」のぱたぽんとならぶ、僕にとっての2大”素敵さん”かもしれません。

■なお、うちの娘たち、どうやらトトロよりパンダコパンダを好んでいるようです。そして、親としては、パンダコパンダを好む幼少時代を時間をかけてたっぷりすごして欲しいなと、密かに願っています。

| 映画 | 00:31 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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ポニョ3

■昨日の日記「学力テスト」を読み返しながら、8/20付のポニョの日記で僕自らが書いた「大らかさ」ということばを思っています。

■娘に買い与えたポニョのパンフレットのなかに、「監督企画意図」と題された宮崎監督による一文がありました。その最後に書かれていた一節、「神経症と不安の時代に…」ということばもまた、いま思い出されています。

■神経症、不安。

■自分の外のそれをのみならず、自分の中にも強く強く在り続けるそれを、思います。

■そして、ポニョ、なかなかいい映画であるなぁ…、と思い返しています。

| 映画 | 12:42 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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ポニョ2

■ネットには映画のレビューが氾濫しています。いくつものサイトやブログで、幾千、幾万という人たちが、自分の観た映画についての感想や批評を思い思いに書いています。

■それらを訪ね歩き他人様の意見を覗き込むことで、自分のスケベな野次馬根性を充足させてみたり、自分の見識の正当性を無理やり裏打ちしてみたり、と、僕もあれこれレビューを利用して楽しんでいます。

■しかし全く逆に、そうした”手軽にアクセスできてしまう他人の評価”との距離を周到かつ慎重に保っていなくてはならないぞ…という、ある種の、この時代に対する危機感のようなものを感じてもいます。

■さて、先日観た「崖の上のポニョ」。

■この映画に関しては、僕はいまのところ、余計な情報、つまりレビュー的なものからできるだけ遠ざかっていようと思っています。

■ただ、話題の映画だけに、ネット上にはポニョにまつわる情報が結構多いのです。

■ついに今日、ネットをさまよっているうちに、ついつい欲求に負けて、ポニョにまつわるいくつかのレビューをちらっと覗いてしまいました。

■そこには、こんなような記述がありました。

「ポニョのシナリオには破綻した部分が多い。わかりやすいところでは、海水魚であるポニョをいきなり水道水(淡水)をはったバケツにいれてしまうところなど、ありえない」

「主人公の少年は自分の親を名前で呼び捨てにする。またその母親は、せまい山道を軽自動車で交通ルール無視の大暴走をくりかえす。こんなモラルの低い人間が主人公では、子どもには見せられない映画だ」

「劇中、主人公の行動で多くの犠牲者が出ているはずなのだが、それらは度外視し、主人公のハッピーエンドのみを尊重してしまう”主人公主義”の宮崎駿作品の特徴が踏襲されている」

云々。

■それらを読んで僕は「うーん、宮崎駿のワナに、見事にはまっているなぁ…」と思ってしまいました。

■きっと宮崎さん、今作は特に意図して「破綻・矛盾・無理・不条理・不可解」をストーリーや登場人物たちに抱え込ませているんだろうなと思います。ポニョを観た人たちの”現代オトナ体質”を捕えるワナとして。

■かねてより度々、作品内の設定や主人公の挙動の中に現代社会に対する問いや批判をおりまぜてきたようにみえる宮崎作品(ある意味、説教クサイんですよね…)。

■しかしどうやら今作は、「この作品を上映する」という行為そのものが大らかな”問い”であり、またその問いの対象は、観覧者によって鑑賞後に客体化(もしくは分析・評論)されうるような外的世界なのではなく、観覧者自身の現在進行形の在り様そのものなのかもしれないな、と思います。

■たとえば「それ、ありえないから!」や「っていうか、それ、ふつーに無理でしょ」といった語彙がポロポロと無意識的に口から出てきてしまう”乾燥ワンフレーズ”時代に生きる我々に向けた、ある意味での挑戦状的な映画だな、と思いました。

| 映画 | 00:12 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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ポニョ

■昨日は午前中から、長女と甥っ子を連れて(彼らに連れられて?)帯広の映画館へ。「崖の上のポニョ」。

■良い意味での「こども向けファンタジー」映画。とってもカワイくて美しく、また、大らかな映画だなと思いました。特に前半部分の、観る者を”不思議な海の世界”へと引き込んでゆく勢いや迫力が見事でした。

■でも一方で、「あれは何?どうしてああなったの?なぜなんだろう?あの登場人物たちは何のためにあれをしていたのだろう?」と疑問をもつ部分も多数。

■それゆえに、ああ、また観たいな、と思いました。

■同じジブリの最近の作品で、やはり鑑賞後に”不可解さ”を多く覚える映画として「ゲド戦記」があります。でもそちらは敢えて再度観たいとは思いませんでした。

■その「ワケのわからなさ」は、もっぱら監督のひとりよがりや不親切、また語り手としての力量不足によるところが多いように思えました。

■それを理解していないと、話の筋の追体験や主人公の人格把握(つまり感情移入)に困難をきたすような最低限の”情報”すらも伝えてくれない部分が多いため、観ているうちにモヤモヤ・イライラがつのりました。

■でも、今作のもつ”不可解さ”は、「これはファンタジー。どうぞご自由に”想像”してお楽しみください」というような監督の意図すら感じさせるもの。「ものがたりを楽しくするのは、あなたなのですよ」とでもいうような。

■すくなくとも僕にとっては、鑑賞後の”解らなさ”が逆に、あれこれ思いをめぐらす余地として心に残り、心地よく感じました。じつはそのあたりが、この映画に”大らかさ”を感じた理由のひとつなのかもしれません。

■そして監督が、限りなく広く深い”海”を舞台にして映画を作った意図もここにあるのかな、と思ってみたり。

■クリックひとつで何でも知れ、解ってしまえる時代。否、ワカったつもりになってしまえる危うい時代。そんないまだからこそ、カワイイね!キレイだね!やさしいね!でも、わからないこともたくさんあるよね!と無邪気に微笑んでいられる映画を作ったのかもしれませんね。

■ものを表現する者として、ちょっと勉強になりました。

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そうそう、映画館で会ったKさん、これ読んでますか?
またあれこれ理屈こねてます!笑
またどこかで不思議な偶然で会いましょうね!

| 映画 | 11:44 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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