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2007年03月 | 月別の日記 | 2007年05月

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娘と散歩/餃子は自家製に限る

午前中は長女と二人で散歩。暖かな春の日差しの中を、手をつないで歩いた。

建物の日陰にはまだ雪が所々残っていたりはするけれど、日当たりのよい空き地や道端にはクロッカスやタンポポがぽつりぽつりと咲き出している。ライラックの蕾も、硬い鱗片のあいだにかすかな萌黄色をちらりと覗かせている。

無彩色だった景色に、柔らかないのちの息が吹き込まれてゆく。北国の遅い春も、さあ、いよいよ本番開始だ。

娘は、足元に咲く小さな花々を見つけては、「ああー!ちょっとー、これ見て―!ここにも咲いてる!こっちにも!」と、いつにもまして上機嫌に騒ぎ立て、僕の手をグイグイと引っ張る。まるで一世一代の大発見をしたかのような大袈裟な口ぶりが何ともいえず可笑しい。そして、うららかな青空に抜けてゆく無邪気なその声が、たまらなく愛しい。

歩道をあるいていたら、ひび割れた路面に掘られたアリの巣の近くに、干からびたミミズの死骸を見つけた。娘ははたと立ち止まり、腰をかがめ、じっとその死骸に見入っている。小さなアリがいっぴき、この大物に果敢に挑みかかっていた。

さて、娘はこの光景に何を思うだろう、と思って、僕は黙って見ていた。すると、彼女、ちょっと神妙そうな顔つきを作って僕に向けると、「おとーちゃん、春は楽しいけどさぁ、でもさぁ、死んじゃうのってさぁ、ちょっとさみしいよね、やっぱり。」と言った。

浮き足立つほどに嬉しく楽しい春の日に、不意に対面したミミズの死に様。彼女はそこで、死んだものにちゃんと心を留め、死の悲しさをきちんと口にし、それを僕に伝えた。

うん、そうだね。

この親バカは、心のなかで娘の頭を「よしよし」となでながら、こうして娘の成長を確かめる機会を与えてくれたミミズの乾いた亡骸に「どうもありがとね」と無言の礼をするのだった。

いい散歩だった。

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夕食は、餃子。僕とカミさんは、餃子好き。1週間に1~2度は餃子を食べているかもしれない。

育児に忙しい最近は、出来合いの冷凍餃子などでささっと済ませることもあるが、今日のような休日には、やはりきちんと手間ひまかけて手作りをしたいものだ。そして「絶対に美味いものを喰う!」と決めたときには、カミさんには台所を譲らず、必ず自分でやると僕は決めている。

今日は、夕方になって急に「餃子にしよう」と思い立ったので、長女と二人で急いでスーパーへ行き、ひき肉と白菜その他を買い込む。ちょうどいい具合に、見切り品の安い白菜があった。豚肉も広告の品・国産グラム60円台だ。と、気付けば娘はどさくさに紛れて、大好きなプリキュアの「お子様カレー」を買い物カゴに入れていた。ちゃっかりした子だ。

うちに帰って、薄力粉強力粉を熱湯でコネコネ。皮自体の味付け(塩加減)も結構大事だ。粉末だしも少し入れる。具は、玉ねぎ白菜の大き目のみじん切りにキノコ類(今日は安売りのブナシメジ)、あとはニラにんにくショウガ肉をコネコネ。僕の味付けは少し甘め。酒、塩と、砂糖が結構入る。あと、醤油とオイスターソースを隠し味に。

中華風タマゴスープを作る傍ら、皮を麺棒で伸ばし、具をたっぷりと包む。油でジュッと焼き色をつけ、熱湯を注ぎしばらく蒸す。仕上げは、水溶き片栗粉で「羽」をつけるなどという姑息なことはせず(笑)、ゴマ油をひとまわしたらしてパリパリに焼き上げる。

準備開始から「いただきます」まで、丁度1時間。生地作り込みにしては、なかなかいいタイムだ(笑)。

焼き立てをほおばる。もちもちの皮が肉汁を一滴たりとも逃さず、噛めばじわっと旨みが口に広がる。若干厚めの皮生地の小麦粉自体の甘味が混ざり合い、うーん、最高に美味い。やはり皮は手作りに限る。ああ、これでビールを買ってくるのを忘れさえしなければ、パーフェクトだったのだが…。

ま、今日は総じていい一日だったということで、満足。
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| 暮らし | 23:38 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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本を「聴く」ことができるように

4歳の娘、絵本も好きだが、最近では「読み物」も楽しめるようになってきた。といっても、字はまだほとんど読めない。聴くだけだ。

今、寝る前のひとときに楽しんでいるのは「ビロードうさぎ」(童話館出版/マージェリィ ウィリアムズ 著、石井桃子 訳, ウィリアム ニコルソン 画)。札幌の絵本屋店主Aさんのオススメだ。

数ページの美しい挿絵はあるが、基本的には、ページにびっしりと漢字も交えた字が書かれた読み物。

娘にはまだわからない単語や言い回しが多数あるらしく、僕の読み聞かせを聞きながら、ところどころで「ねえねえ、○○って何?」と質問を連発する。でも、その視線は文字のならんだページをじっと見つめており、彼女は彼女なりに集中していることがわかる。

お話に登場する事物の正体や具体像は掴みきれていないにしろ、聴いた字句は結構正確に覚えていて驚かされる。物語自体もしっかりと把握している。何より、そこにこめられた主題の意味を、彼女なりに確かに感じとっているようだ。

徐々にひらがなに関心を覚え始めてもいる。「ことば」という媒体自体の存在意義や意味を、わずかずつではあるが、意識し始めているのだろう。いや、単に「ことば」を繰る新たな手法を手にすることが楽しいだけかもしれない。

とまれ、彼女はいま、奥深い「ことば」の世界のとば口に立っている。

僕自身はあまり熱心な読書家ではないが、「本」や「ことば」というものがもつ底知れぬ魅力はわかるつもりだ。娘にはどうか「ことば」を大切に聴き、読み、繰ることができる人間になってもらいたいものだと、親バカながら願わずにはいられない。

二枚舌で弱者を切りつけるような「ことばの暴君」「詭弁家」や、逆に、重みをそがれた軽いことばばかりを喋らされているメディア(媒体)人間がはびこるこの世の中では、特に。

さてさて、娘に「エルマーのぼうけん」「モモ」、果ては「ゲド戦記・影との戦い」を手渡せるようになるのは、いつだろうなぁ。いまから楽しみだ。

| こども | 02:31 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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ものを書く

いま、原稿を一本書き終えてメール送信した。

750字。所属する団体の会報への寄稿だ。内容は、今夏我が町・芽室で行われる「北海道子どもの本のつどい芽室大会」への参加募集を呼びかける「実行委員長からのひとこと」。なんということはないお題なのだが、結構時間が掛かってしまった。

じつは先日来、同じ会報に立て続けに3本の文章を寄稿している。その全てが会報編集部から「書いて!」と頼まれてのものだ。内容も文字数もそれぞれまちまち、もちろん原稿料などは発生しない作文なのだが、なかなかどうして、つい気合がはいってしまって、推敲に時間が掛かりすぎて困る。

というのも、その会自体が、児童文学など子どもの本に関わる人間達の集まり、つまり本を読むことが半ば仕事のような連中の集まりであるからだ。いい加減な文章は出せっこないのだ。この他にも、ちゃんと原稿料のでる作文を2~3本抱えているのだけれどなぁ…。でもこればっかりは仕方ない。手は抜けない。

作文は、難しい。限られた文字数のなかで、きちんと情報は伝えつつ、自分の心情や哲学、場合によっては批判もしっかりと盛り込む。それを、理路整然と、文脈文法に破綻なく、全体の雰囲気に一貫性を持たせながら行う。おお、文章を書くとは、なんと難儀なことか…。

つくづく、職業的に文字(ことば)と格闘している人のスゴさに感嘆する。僕だって、まがりなりにも原稿料をもらう「文字の仕事」をしているわけだけれど、それはやはりどこかで、本業である写真との協働効果を前提にしていたりするから、僕の仕事の多くにおいては、純粋に文章のみにもてる能力の全てを投入しているとは言い難い。

ことばでものを、世界を表現しきってしまう人たち。しかも、簡潔な文章のなかでそれをする人たちを、僕は本当にすごいと思ってしまう。俳人しかり、詩人しかり、エッセイストしかり、小説家、特に、平易なことばと文法で高度な表現を紡いでゆく児童文学者しかり。

じつは今日、同じ会のメンバーで、北海道の児童文学を代表する作家である加藤多一さんの著作を、図書館で借りてきて読んだ。以前この日記にも書いたが、加藤さんの作品のことばの切れのよさが僕は好きだ。

ページを繰るごとに、無駄や虚飾のない真っ直ぐなことばが、すっ、すっ、と胸に入って来る。そして、僕の脳裏に物語の中の情景や登場人物達の佇まいをごく自然に想起させ、またその後に、くっと背筋を正したくなるような、胸がちくりとするような、それでいて腹のそこがずーんと重たくなるような、複雑極まりない心情を湧き起こさせる。

多分にそれは、今日読んだ作品のテーマが「戦争」に関わるものであり、いま僕自身が特にそのことに対し敏感になっているという理由もあってのことだとは思うが、それにしても、平易な短い文章の中で、これだけ読み手の心に過不足なく訴えかける表現ができるものかと、改めてうなってしまった。

世を見渡せば、言葉をもてあそぶかのような二枚舌・三枚舌の連中が社会の権力者として表に立ち、それこそ確信犯的に、妄言・虚言・詭弁で人を傷つけ、貶め、辱めている(本当はそれにより直接・間接に傷つけられているはずの人々が、それを我がこととは思う事が出来ずに、そうした連中の下支えをしてしまっているという悲劇的な昨今…。「いつかきた道」にならない事を切に願う)。

真にことばを発し、真にそれを聴き、真に読み解いていくことの重要性、その能力を研ぎ澄まさなくてはならない必要性を、今ことさらに感じている。自戒を込めて。

自分を省みれば、こうして毎度毎度冗長な日記を書くのがいいのか悪いのか、自分でもわからない。でも、訓練は怠らないでおこうと思っている。それは、書く訓練でもあるし、書くための心の訓練でもある。そして、それはきっと、ひいては、聴き、読み解く訓練にも繋がるだろう。いまこそ、ことばと遠ざからないで日々を生きようと思っている。(あまりにも軽いことばはどこかインターネットの彼方へでも飛んでいってしまっても構わないけど…)

ま、まずは、もっと簡潔にものを述べられるようにすることが一番に求められるだろうな。うーん、自分でもわかってはいるのだけれど…。反省。

| 仕事 | 00:57 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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絵本講演会実行委員会

6月に我が町芽室で行う絵本読み聞かせ講演会の実行委員会を午前中おこなった。今日始めて会合に参加するスタッフもあり、いつにも増して賑やかだ。この企画のいいだしっぺとしては、なんとも嬉しい限り。

今日はチラシとポスターの原案を見ながら広報についての話を詰めた。広報担当による手書きのチラシ&ポスターが披露された。「絵本、それは未来への架け橋」という講演タイトルの下に、絵本を開いて微笑んでいる親子のイラストが。なんともかわいらしい。うーん、いいじゃないか!

こうした、人の手の仕事による具体物が目の前に現れると、これまでは机上の議論だけだったこの講演会の計画に、とたんに温かいいのちが吹き込まれたように感じられる。俄然気持ちが盛り上がる。

なにより、それぞれが得意なことを持ち寄って、何かを作ろう・動かそうと、自らの意思で歩み寄る。そして、それが徐々に形になってゆく。こういうのが、なんともいえず、いい。

多分、こういう「自分たちの思いを自分たちの手で、手探りでもよいから形にしてゆく」ということを、大人自身がもっともっと、真面目に、かつ面白がりながら、コツコツと時間をかけて繰り返してゆくことが必要なのだろうなと感じている。そうした中でしか、「骨抜きなのに硬直化してゆく」という摩訶不思議な社会の現状(特に子どもたちにとって)は変わってゆかないようにおもう。

じつはそもそも、そういう思いが最近特に抑え難くなったからこそ、今回の講演会を無性にやりたくなってしまったのだった。

上から何か与えられるのを期待して口をポカーンとあけて突っ立っていたら、そこにアッつい焼け火箸を突っ込まれた――そんなことにならないように、ちゃんと前を向いて、口をキュット結び、自分の目線の高さがいまどこにあるのかを意識しながら、自分(自分たち)の足でしっかりと大地を踏みしめていないといけないな、と思っている。自分の「地元」で、そういう在り様で立っていたいと思っている。

幸い、僕らがいま先住者達から間借りしているこの北海道の大地は、ぐいと踏みしめるに足りるだけの土っ気がちゃんと残っているように思うし――。

まぁ、実際にやること自体は、たかだか単発の絵本講演会だ。参加者数も数十人程度という小さな規模で、超有名人を講師に招くわけでもない。これをやったからとて、直ちにこの町に大きな変化が起ころうはずもない。そんな内容の企て一つで、何を大袈裟なことをいっているのか…と自分でも思う。

でも、個人的に期するところは大きい。特に、先の選挙の結果を見るにつけ、ある種、焦りの感情さえ感じ始めているこの頃は、その思いがさらに強まっている。

まぁ、そうはいいながら、やっぱり、わくわくと楽しいのには違いない。次の実行委員会が待ち遠しいのでありました。

| 暮らし | 22:56 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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選挙結果

地元北海道の知事選よりも気になって仕方なかった東京都知事選。石原氏に当確が出た。

これを都民が選んだという事だ。多くは語るまい。

しかし、と思う。

僕は常々、「国」なんていう仮想単位で物を考えることを極力避けたいと思っているのだけれど、今ばかりは、「この国」がどうなってゆくのかについて、かなり危機感を覚えている。

東京オリンピックがどうこう、築地の移転先がどうのこうのという問題ではない。

はっきり言ってしまうと、こういう結果を出してしまう「背景」がこの国の首都に厳然と横たわっているという事実が、個人的に、生理的に、なんとも言えずキモチワルイ。

| ぼやき | 21:32 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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トドマツの芽

20070407103014.jpg

スノーシューをはいて森を歩く。
阿寒はまだ深い雪の中。
しかし、確かに春は来ている。
スノーシューの裏に張り付く
湿った雪。春の雪。
足取りは重たい。
でもその分、心は軽い。

トドマツの枝先の
3つ並んだ小さな芽が
日に日にふくらみを増してゆく。
ちょんと触れれば、指先は
透き通るようなマツヤニの匂い。
なおさら、心が軽くなる。

| | 10:32 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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原稿/百日写真/長女の折り紙

ある雑誌に寄稿する原稿のゲラが戻って来た。初校を書き上げたときに自分でも分っていたことだが、指定されていたよりも字数が多すぎた。大分削らねばならないのだが、かといって、相当根を詰めて書き上げた文章だからおいそれとどこでも削れるわけでもなく、ああでもない、こうでもないとやっていたら、こんな時間になってしまった。うーん、眠い。

今日(正確には昨日)、次女の生後百日の写真を撮りに行った。以前から世話になっている帯広の写真館だ。ただ、世話になっているといっても、じつはこのスタジオで家族写真を撮ったことはいままで一度もない。僕が仕事として、ここの撮影業務や写真加工などを手伝っていたという縁だ。

百日の写真くらい、カメラマンなんだから自分で撮ればいいのだけれど(実際、長女の時には自宅で僕が撮った)、今回はちゃんとスタジオで撮影することにした。やはりスタジオのライティングというのはきっちりと美しく写るし、また、最近仕事に追われている身としては、その道のプロにすっかり全部お任せして、少し楽をしたい気になっていた。

しかし、行ってみれば、店主の「なにいってるの。小寺さん、自分で撮ればいいっしょ!」のひとことで、やはり僕が撮影することになってしまった。で、結局プリントまで僕がすることに。うう…。でも、かわいい娘のためだ。やりましょう。

そのあと、同じ町内に住む義父母のうちへ。名古屋からカミさん側の甥っ子が2人、遊びに来ているのだ。春休みの数日間、こちらで過ごすのだと。

うちの長女は彼らのことが大好きだ。朝から「今日はSちゃん、Rちゃんに会う!」と二人の名前を何度も連呼していた。で実際にあったら、もう興奮の絶頂。長女はおにいちゃんたちを捕まえて、狂ったように叫びながら祖父母のうちを駆けずり回っていた。6年生と4年生の甥っ子達はとても優しい子らで、長女に付き合ってわいわいと遊んでくれるのでありがたい。

と、ひとしきり騒いだ後、長女が「おりがみ、する!」と言い出した。最近長女は「やっこさん」や「かぶと」を折るのが大得意で、うちでも時々、大好きなピンクの折り紙でやっこさんを作っては僕に見せ、「これみてー!じょうずでしょー?」と得意げな顔をしている。自分の腕前をいとこたちにも見せたいのだ。

ただ、今日は、単に自分で作るだけではなかった。なんと、彼女、4年生のいとこを捕まえて「やっこさん」の折り方を教え始めた。それが結構、分りやすい指導なのだ。

そうか、もうこの子は人に物を教えられるようになったのか。僕は感慨深かった。

僕は普段、あまり良くないと分ってはいながらもついつい「あれしなさい、これしなさいと」こちらからの指示ばかりを長女に向けて発していた。彼女を信頼していないわけではないし、彼女の自発性を尊重したいとは常々思ってはいるけれど、それでもやはり彼女との間で知らぬ間に「教え諭す側」と「諭される側」という図式ができあがってしまっていた。

だからなおのこと、年上をつかまえて、舌足らずながらもそこそこ理論的におりがみの作法を教授する娘の姿が大変新鮮に感じられた。

ある技術を順序だてて教えるというのは、案外高度なことだ。多分娘は、こうした「教える・教えられる」を保育所の遊びの中で友達相手になんども繰り返し、その中で、自分が身につけたことを他者に分りやすく伝える方法を身につけてきたのだろう。

娘の中に芽生えた成長の兆しにいまのいままで気付けず、もっぱら「指導者然」としていた鈍感ダメ親の自分を申し訳なく思いながら、でもやはり、娘の確かな成長を目の当たりにして、僕は嬉しかった。

「ここをこうおってー、こうするの。ちがうのー!そこはこうでしょ!」

さっさと自分のやっこさんを折り上げてしまった娘は、なんだか誇らしげな顔であれこれと従兄弟に向かって指図をしている。甥っ子は苦笑いをしながらも、楽しそうに長女の指導に従っていた。優しい子だ。

よし、あすはオトーチャンが「かぶと」の作り方を習うことにしようかな。娘よ、どうぞ、よろしくたのみます。

| こども | 02:30 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

2007年03月 | 月別の日記 | 2007年05月


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