小寺卓矢・森の写真館 top_image
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2007年04月 | 月別の日記 | 2007年06月

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いろいろ

■黒松内からの帰路、札幌に寄って、近代美術館で開催中の「空海マンダラ展」を観覧。きっとこんな内容の展示は、今後北海道ではなかなか見られないだろう。特に、仏師・運慶の作品の凄さ。あと、来場者の多さにビックリ…。

■夕方札幌から帰宅。すぐ、糠平へ。友人K氏の結婚披露宴。札幌から直接駆けつけようかとも思ったのだけれど、若干時間に余裕があったので、一度家に帰ってスーツに着替えて出かけた。会場に到着しておどろいた。アウトドア関係の友人だから、勝手な先入観として、てっきり仲間連中による打ち解けた感じのアンフォーマルな立食パーティー形式なのだと思っていたが、実際、スポットライトあり、多段ケーキ入刀アリ、お色直しもありの、実に本格的な披露宴。ネクタイをしていって正解だった。危うく、よれよれのフリースにジーパン姿で参加するところだった…。

■翌日は昼に「子どもの本のつどい」の実行委員会。「森のいのち」の表紙の写真を使ったきれいなポスターが刷り上ってきたのだが、よりによって僕の名前が「卓矢」ではなく「卓也」に…。どうやら印刷所のミスらしい。ワープロ・パソコンが普及してからというもの、年賀状などの郵便物、果ては新聞記事においてでさえも、僕はこれまで何度も何度も同じ誤字で悩まされ続けてきた。ワープロ変換では「卓矢」は絶対に一発変換されないからだ。時には、親戚からでさえ「卓也くん、元気?」なんて手紙をもらう。これは、正直、何度経験しても、じつに嫌なものだ。個人名で仕事をするようになってからは尚更こたえる。僕も他の人の名前を間違えないように気をつけようっと。子どもができて、思いをたっぷり込めた名前を彼女らに付けてからというもの、名前を間違えるという事の重大さがいっそう身にしみてわかるようになってきた。

■実行委員会が終わたその足で東川町に向かった。絵本作家の神沢利子さんを招いて小さなイベントが催されたのだ。これは、あまりおおっぴらに宣伝せず親しい人たちだけに声を掛けて行われた集まりだったそうなのだけれど、僕は、今年2月に旭川の「こども冨貴堂」さんで写真展をさせていただいた縁で、主催者から声を掛けてもらい参加することができた。ありがたい。あべ弘士さんも参加していたので、両氏の共著である「ごりらのりらちゃん」を買い求め、連名のサインをいただいた。この本、すでに我が家に1冊あって、長女の大のお気に入りなのだが、やはり両著者のサイン本をもてるのは嬉しい。イベントでは、神沢さん本人による「鹿よ、俺の兄弟よ」の読み聞かせに、ぐっときてしまった。写真家H氏のことを思い返さずには居られなかった。とてもいい夜だった。

■翌日は旭川で山暮らしをしているJさん、Hさん両家を訪問。Jさんのセルフビルトのストローベールハウスを見学し、ああ、森に近い暮らしはいいなぁと改めて実感。

■旭川から戻った翌日から、どうも頭痛がするようになった。後頭部から頭頂部にかけて重く、痛い。熱も出た。丸一日寝ていたら何とか酷い状態は乗り切れたが、それでもまだ、どうもすっきりしない。しかし、だからといって6月6日に計画している絵本講演会の実行委員会を休むわけには行かないし、その翌日からは家族連れで実家の神奈川に帰省する事になっており、それまでに片付けなくてはならない事も沢山ある。「まぁ、すぐによくなるさ」と放っておいた。

■しかし結局、神奈川滞在中も頭痛が続いた。関東の蒸し暑さに耐えながら、バファリン服用でごまかしつつ過す。

■自宅に戻ってからも痛みはなかなか引かず、ついに病院へ行くことに。脳神経外科でMRIとX線の検査。幸いな事に脳に異常は見られないとのことで、とりあえずホッとする。が、早く痛みをとりたい。そこで、知人の鍼灸師に治療してもらった。いろいろカウンセリングをするなかで「頸部の、特に神経が集まるところが凝っていますね。やはり、疲労でしょうね」とのこと。針と灸を施してもらい帰宅。翌日には次第に痛みは治まっていった。

■確かに、ここ数週間、あれこれと飛び回りすぎたかも…。30歳を過ぎたら無理は禁物だ。実際、撮影で森を歩いている以外は、ほとんど家で座ってPCに向き合っている生活だから、基本的には運動不足なのだ。とにかく、日頃の養生が大切ということが身にしみた5月だった。
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| 暮らし | 15:33 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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ブナ新緑

いま撮影で道南の黒松内町に来ている。
ここには、日本における「北限の自生ブナ林」がある。
新緑のブナを見たくて、来た。

昨日、今日と天気がよく、日に照らされたブナの若葉が
なんともさわやかに輝き、優しく風に揺れている。
白樺やイタヤカエデなど、その他の広葉樹も一斉に芽吹き、
森の一部は「春もみじ」と言われるほの紅い色合いで
彩られている。

じつに美しい。そして気持ちがいい。
「山、笑う」とは、まさにこのことだ。

でも…。

その新緑が鮮やかであればあるほど、
なぜだか僕は無性に、僕の撮影の本拠地である阿寒の
翳りを帯びたエゾマツ針葉樹林を思い返してしまう。

目の前の萌黄色の風景の向こうに、ここにあるはずも無い
じめっと苔むしたアカエゾマツの倒木などを思い浮かべながら、
ああ、阿寒に撮影に行きたい…などと、
元も子もない思いに囚われてしまうのだ。

見目麗しい森は世に数あれど(この道南のブナの森然り)、
僕はなぜこうも、鮮やかさにはむしろ乏しいあの阿寒の森に
心引かれ続けるのか。自分でも不思議だ。

通い慣れているから、ということだけでは割り切れない
何か特殊な感情が僕のなかにあるのか…。ううん、解らん…。

これは、つくづく、カミさんとの関係によく似ているなぁ
などと思ったりする。本当に不思議なものだ。

| | 19:53 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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春の雷

昨日まで阿寒のオンネトー近辺へ撮影に出ていた。

大分春めいてきたとはいえ、森の中にはまだ雪がたんまりと残っていた。しかし、もう十分ツボ足で歩けるカタ雪だ。ところどころ顔を覗かせたミズバショウガかわいらしい。

撮影3日目は夜から雷雨。野中温泉の駐車場に停めた車中で寝袋にくるまっていると、窓の外が時折ピカッと光る。稲光だ。雷鳴が雌阿寒岳山麓にとどろいている。

と、一際眩しい閃光が差し込んできて、一瞬目がくらんだ。そして、間髪あけずに「ドドーン!」ともの凄い地響きを感じた。近くに落ちたのだ。

大気が震えているのか、それとも地面が震えているのか。車体をとおして落雷の衝撃が伝わってくる。びりびりと振るえるような細かな揺れがなかなか納まらない。実際にはほんの2~3秒程度の時間だったのだろうけれど、とても長い間揺れていたように感じられた。正直、ぞっとした。

雷は怖い。たかが大気中の静電気の放電現象。しかし、なんという強いエネルギーだ。

今回は、たとえば登山中に雷雲に包まれるといったような切迫する状況では全くなかった。逃げ場のない山上とは異なり、近くには森があり、高い木がいくらでも生えている。そもそも車の中にいれば、ひとまずは安心だ。でも、あの音と振動のもの凄さには、そんな理屈を越えたところで底知れぬ恐怖を覚えた。

翌日は、不安定な天気が継続し、森には一日中霧が立ち込め、そのわりには風も強く、気温はとても低かった。保温ナイロンの長袖山シャツを重ね着し、その上にフリースジャケットと厚手のアノラックを重ねても、まだ寒い。指先だけ出せるように改良した手袋をはいて撮影したのだが、カメラの金属部に触れる指先がたちまち凍えそうになった。長靴の中の指先が、さっきからジンジンと痛い。

ふとシラカバのこずえを見上げれば、強風が吹きつけた雨粒が凍り付いて霧氷のようになっている。今朝方は氷点下だったということだ。

5月ももう半ば、暦のうえでは立夏も過ぎた。本州ではとうに桜も終わり、それどころか、沖縄では梅雨入りの話題まで出始める頃。そんなときに、僕は寒さに背中を丸めながら、はぁっと白い息を吐いている。

北海道の自然に向き合っているのだという実感と、この厳しい自然の中に息づく生き物たちの逞しさを感じずにはおれない数日間だった。

| | 23:51 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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本当の春

隣の空き地に咲いていたフクジュソウの花は、すでに種子を結んでいる。3色のクロッカスが咲き誇っていたすぐ脇で、主役交代とばかりに、今度はスイセンが黄色い花を揺らす。ぐんぐんと背を伸ばすチューリップの花茎。ムスカリの開花ももうじきだ。

今日も暖かい。西に見える日高山脈は日ごとに残雪を減らし、黒々とした輪郭を次第にあらわにし始めている。

朝、長女と保育所へ向かう道すがら、毎日見るのを楽しみにしているものがある。役場の前に生えた一本立ちのキタコブシだ。

まだ北風が肌寒い頃には、絨毛をまとった黒い芽鱗を硬く閉ざしていたが、それが日に日にふくらみをましてゆき、いつしか日当たりの良い枝先からほころびだした。乳白色の花弁がたおやかに広がり、風にそよぎ、あたりを暖かな春の雰囲気でいっぱいに満たしてゆく。

毎日その変化のようすを見つづけてきた娘。昨日、一昨日ですっかり満開になったそのコブシを見て、今日は一言、「あーあー、もう、本当の春になったねぇ、オトーチャン!」

これから、花が散り、新緑が出、葉が繁り、それがまた散り落ちて、ついには再び裸木に還ってゆくのをみて、その時々に、娘はなんと言うだろう。身近な場所で確かに巡りゆく「本当の」いのちの移ろいの中に、彼女は何を見出すだろう。楽しみだ。

| こども | 11:40 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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「あかちゃんポスト」

長女を保育所に送り届け、洗濯物を干す。つけっぱなしにしてあるTVの音に、ふと耳がとまる。画面には、朝ワイドショーが伝える「あかちゃんポスト完成」の報道映像が映っていた。

子どもを育てきれないと思った母親が、赤ちゃんをポストにいれる。すると、ポストの扉と連動した監視カメラとブザーが作動し、病院係員がポストに駆けつける。そして、赤ちゃんを抱っこし、あやす。人形を使った「ポスト」運用デモンストレーションの映像だ。

つい映像に見入ってしまう。そして、しばし考えてしまう。

放っておけば小さないのちが失われようとするときに、これも一つの有効な方法ではあるだろう。死ぬよりは、どんな経緯でも、赤ちゃんは、生きているほうがいい。でも、しかし…。

僕の手には、生後4ヶ月の次女の、洗ったばかりの木綿の肌着。寝室からは、きゃっきゃとはしゃぐ次女の声が聞こえてくる。ハンガーを持つ手が、思わず止まる。

TVには、看護士に抱きかかえられる赤ちゃんの人形の映像。それを見ながら、なんだか、涙が出そうになった。


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軍事費ではなく、福祉のために、金をつかえないものだろうか。パトリオットミサイルを自衛隊基地に配備するより、イージス艦を配備するより、「おもいやり予算」として米軍に多額の金を貢ぐより、若い母や父が子を持ち育てる喜びをたっぷりと味わえるような政策にこそお金と人材を割り当てられないものだろうか。

いま本当に必要な「自衛」策は、無理やりにしつらえた仮想敵国(いや、「妄想敵国」)から「集団的」につるんだ他国の軍隊を守ることなんかじゃなく、いま現実に様々な生活不安の悩み苦しみを抱えながらこのクニで生きる小さき人々を、心を込めて護ることではないのか。

(いま世の中を見ていると、現実の不安から目をそらさんが為に、あえて虚構の妄想的不安を煽り立てているように見えて仕方がない。)

僕は、憲法9条改悪(自衛軍の保持と、集団的自衛権行使にお墨付きを与えようとする目論見)を最大の目的として行われようとしている拙速な憲法改正に、大いに反対だ。だから、その「道備え」のために今度参議院で強行採決を行おうと与党が目指している国民投票法案('欠陥'法案)の採決にも反対だ。

| こども | 10:32 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

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