小寺卓矢・森の写真館 top_image
bar

left_button_spaca.gif
info.gif
left_button_spaca.gif
works.gif
left_button_spaca.gif
profile.gif
left_button_spaca.gif
publish.gif
left_button_spaca.gif
diary.gif
left_button_spaca.gif
link.gif
left_button_spaca.gif
left_button_spaca.gif
ask.gif

2010年08月 | 月別の日記 | 2010年10月

編集

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | コメント(-) | トラックバック(-) | 先頭へ↑

編集

最近のイベントの様子

少し前ですが、9月10日に札幌市で行われたカンテレとのコラボイベントの様子が、カンテレ奏者のあらひろこさんのブログで紹介されました。

KANTE-Letter「あらひろこのカンテレ通信」
http://white.ap.teacup.com/kantele/1421.html



9月24日と25日に羽幌町で行ったイベントの様子が、主催してくれた北海道海鳥センターのブログに掲載されました。

スライド上映講演
http://seabirds.exblog.jp/14671320/


写真絵本づくりワークショップ
http://seabirds.exblog.jp/14673166/
スポンサーサイト

| イベント | 08:45 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

編集

羽幌

■23日~25日は仕事とプライベートあわせた用で、羽幌町へ。

■同行した娘たちは、大好きなはとこたちとの再会を大いに楽しんだ。

■僕は、講演会とデジカメ写真絵本づくりワークショップ。

| 備忘録 | 12:12 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

編集

撮影 阿寒その1

北の森はだいぶ冷え込んできました。

20100922_0127__DSC6177.jpg

20100920_0086__DSC6097.jpg

20100922_0147__DSC6237 (1)

20100920_0007__DSC5951.jpg

PC-E 24mmを初めて使ってみました。
もちろん、パンフォーカスが目的です。
ミニチュアをやりたいわけではないのです。


| 写真 | 21:49 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

編集

いろいろ

■久しく滞る更新。いつものことながら。

■最近のこと、思い出しながら。


9月8日

■札幌へ。NPOめむの杜で助成金を頂くことになった秋山記念財団が主催する「助成金授与式」への出席。着慣れないジャケットを着て、緊張して参加。

■でも、会場に着いてみれば、「北海道スローフードフレンズ帯広」のリーダーYさん、「飛んでけ!車いすの会」の方々、「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」のHさんなど、知っている団体、知っている方々が同じく受賞者として参列していたので、気持ちもリラックス。

■それそれの分野でユニークな活動をされている方々から、刺激を受けました。

■夜は、以前働いていた学習塾の職員の方々と食事。嬉しい時間。


9月9日

■午前。札幌の滞在先に北海道教育庁の方が訪ねてくれ、打ち合わせ。

■北海道教育庁で数年前から取り組んでいる講師派遣事業の特別非常勤講師として今年度登録されることに。

■10月以降、道内のどこかの小学校へ派遣されて、子どもたちに森のことをお話しすることに。楽しみだ。

■午後は、翌10日に行われるカンテレとのコラボイベントのリハーサルを、カンテレ奏者のあらひろこさんとおこなう。

■まずは「森のいのち」のプロジェクター映像を見ながら、朗読とカンテレ演奏の構成やタイミングを打ち合わせる。

■しかし…予想はしていたが、カンテレとのコラボ、いやはや、な~んて心地がいいのでしょう!

■いささか自画自賛気味ですが、なんというか、あらさんが奏でるカンテレの音色が、まさに”このために用意されていたのか”と思うほどにピッタリ・しっくりときて、リハーサルをしながら、嬉しさで顔のニヤケが止まらない。


9月10日

■午後、カンテレコラボ本番。

■会場のセッティングを、あらさんのご主人が手伝って下さる。お陰で、スライドショーには最適な、素敵な暗室ができあがった。会場「AMICA」自体も、広さといい、空間の雰囲気といい、とてもいい感じ。

■公演は、15時と19時からの2回。

■15時からの会には、僕の知り合いも沢山きてくれた。

■人形劇のKさん。久しぶりー!Kさんとは、初めて直接あったときに、じつはこのAMICAで一緒に食事をしたんだった。その後は、メールでやり取りをするくらいで、なかなか直接あうことはなかった。

■でも今回、あうなり「小寺さん、目が、キツい!疲れてない?」とご指摘を受けて、ドキリ。

■確かに最近、顔にモロに日常の疲れ・クタビレが出ているのに自分でも気がついていた。いや、顔の表情だけでなく、態度や立ち居振る舞いにも間違いなく出ていただろう。その辺を、感性鋭いKさんは、ズバリその日の初見で見抜いてくれたのだ。

■ご指摘にはどきりとしたけれど、でも、そうして指摘していただけることは反面大変有り難いこと。顔をぱしぱしとたたいて、気合いを入れた。

■あと、来てくれた知り合いとしては、神奈川時代の高校同窓生Uちゃん一家と、彼女の誘いで来てくれた同じく同窓生のS子さんと子どもたち。

■Uちゃん一家は、今年札幌に家を建て、函館から引っ越してきた。久しぶりにあう愛息Iくんが大きくなっていてびっくり。

■方やS子さんは、ご主人の転勤で4月から大阪から札幌にうつったという。大阪にいるときには偶然ネット上の某SNS上で「再会」していたのだけれど、僕がSNSを止めてからは音信が途絶えていた。まさか、札幌で再々会をはたすとは!

■あと、写真家のIさんも参加してくれた。じつはIさんも、別のカンテレ演奏の方とスライド上映コラボをされている。むしろIさんの方が、コラボのセンパイだ。

■公演後、写真のことやコラボイベントのこと、あと、最近のプライベートのこと等、いろいろ話す。

■いま転機を迎えているIさん。間違いなくいい出会いがこれから沢山待ち構えていることだろうから、マイペースで、着実に前に進んで欲しい。

■コラボ公演自体は、個人的にはいくつかの赤面ものの失敗をしてしまったのだけれど、それを帳消しにしてあまりあるほどに、あらさんのカンテレの音色が醸す雰囲気が素ン晴らしくて、やはり、終始至福の時だった。

■お客様にはなんだか申し訳ないような気さえするくらい、あー、良い時間だった。

■終演後、打ち上げも兼ねて、あらさんや、受付を手伝ってくれたあらさんのお仲間とAMICAの美味い食事をたのしむ。

■あらさんとは「ぜひまたやりたいですね。子どもたちに聞かせたいですね!」と。今後も機会があれば、ぜひやりたいコラボレーションだった。


9月11日

■11時から、札幌エルプラザの「エルプラまつり」内でのイベント「小寺卓矢ブックトーク」。

■自著の読み語りや、小寺おすすめの図書紹介をとおして、環境や自然のことを考えるきっかけにしたいと、担当者Sさんと打ち合わせを重ねてきたイベントだ。

■「森のいのち」「だって春だもん」以外に用意した推薦図書は、以下の通り。順不同。

「森はだれがつくったのだろう」ジャスパソン/エッカート/河合雅雄訳
「けものたちのみち」宮崎学
「ナヌークのおくりもの」星野道夫
「鹿よおれの兄弟よ」神沢利子/パブリーシン
「アイヌ植物誌」福岡イト子
「わたしとあそんで」エッツ
「まりーちゃんとひつじ」フランソワーズ

■「森はだれが…」は、もうそのまま、自然のこと環境のことに直結。

■「けものたちのみち」から「アイヌ植物誌」までは、”人と自然”という観点で僕が刺激を受けた本、そして著者たち。

■また、「生物多様性が大事!護れ、生物多様性!」と”正義の声”を上げる前に、その課題に向き合うヒト自身の生き方/価値観の多様性を考えることの方が先だよなぁ、という個人的な思いが強く強くあるので、北米や極東アジアの先住民たちの価値観が反映された書籍を紹介した。

■「わたしとあそんで」は、自然との向き合い方で、僕が非常に示唆を得た本。と同時に、このブックトークでも力説した「これからを生きる子どもたちに何を伝えるか」ということを考える際、子どもたちにむきあう大人たちにとって非常に示唆に富むであろう絵本。大好き。

■そして、「まりーちゃんとひつじ」。「岩波の子どもの本シリーズ」の古典的絵本。本当にかわいい絵本。でも、じつはこの日、これに一番力が入ったな(笑)。

■まりーちゃんとひつじのぱたぽんの、なんともゆるやかで、なんともかわいらしいダイアローグで全編が綴られる、小さな絵本。

■でも、そこに秘められた”思想”の(大げさだな…)、しかし、なんと現時代的なこと。

■ぱたぽんのことばと立ち位置、生きる姿勢、それを支える「価値観」が、いまの社会の様々な側面で、人間に、大変切実に求められているなぁ、と思うので、思わず力が入ってしまった。

■たとえ遠回りに思えても、この先ヒトを守り救うのは(「環境を守る」にあらず。環境を守ろう!地球を救おう!ってシュプレヒコールは、”本音翻訳機”にかけれてみば、結局は「明日もわたしらヒトが今日と変わらず、死なずに暮らせますように…くわばらくわばら」というふうに聞こえてくるはずだから)我々ヒトたち自身の「価値観の柔軟さと多様さ、豊かさ」がしっかり保証されるかどうか、ということにかかっているような気がする。

■ブックトーク終了後は、その場で小さなサイン会。声をかけて下さる方が何人も。

■「森のいのち」をいろんなところで何十回も読み聞かせをして下さっている方や、以前「森のようちえん全国フォーラム」でお会いして以来僕の本を大事に読んで下さっている幼稚園教諭の女性など、しばし嬉しい歓談のとき。読者の方々とこうして直接言葉を交わせるこの時間は、本当に嬉しい。

■あと、僕が札幌在住自体に本当にお世話になった懐かしい方々の顔も。嬉しいなぁ。

■しかし、じつはトークが終わったら、大急ぎで帯広へ移動しなければならなかった。かちまいアカデミーの写真教室だ。

■道東道をぶっとばして、帯広へ(といっても、軽ワゴン、時速80km以下…)。


9月12日

…のことは、たくさん書くことがあるので、また後日。

で、こうして先延ばしにして、また更新が滞る…。

| 備忘録 | 01:35 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

編集

■最近のこと、順不同で。

■先週日曜は帯広でデジカメ写真絵本づくりワークショップ。コープさっぽろさんの主催。今回は大人の参加の方が多く、いつもとは違う面白さがあった!大人だって、子どもに負けちゃいませんゼ!

■先週、カンテレあらひろこさんと馬頭琴/のど歌の嵯峨治彦さんのユニット・RAUMAのライブがあったので急遽鑑賞。三味線・タンプーラ・舞・歌・デジュリドゥのユニット「草舞弦」との共演。

■特に後半の、異質な楽器同士が即興で醸す絶妙のグルーブ感をたっぷり楽しんだ。

■音の波とか色(音色)、音の長短、リズムって、おもしろいなぁ、とつくづく思う。「音」って面白いな、とつくづく思う。

■4人がそれぞれに発する音と音が重なりあい、ときに融け合うように、また、ときに反発し合うように響き合う。

■その大きな音の塊のなかで僕が自然と思いを馳せたのは、そのハーモニーのあり方云々よりもむしろ、「音」そのものの本質的な面、”音が世に在るときの、その在り方”のほうだった。

■おもしろい体験だった。

■しかし、こういう、まさにライブな緊張感が充ちる即興の場に、写真という芸で即興的に絡み刺さり込んでゆくということが、できないものだろうか…。楽しいだろうなあ。

■また別の日のこと。地元のNPO活動への協力をお願いしに、芽室のそば名人Mさん宅を訪ねる。

■こちらからの無理な依頼もご快諾頂き、Mさんの奥さんも交えての嬉しい歓談のひと時。ほがらかなMさんが聞かせてくれるあれこれのお話が楽しい。

■そのなかで、話題が「昔の遊び」のことになった。そのときのMさんの話が印象に残った。Mさん、昭和一桁世代。

■「僕のいたところは阿武隈川の近くでね。よく川遊びしたよね。泳いだり、淵に飛び込んで怪我したり、溺れかけたり。で、川であそんでいると、対岸の地域の子どもたちと、なぜかいつも川を挟んで喧嘩になってね。届かないくせに対岸に石投げたり、大声で罵倒したり。たがいに何か問題があるというわけでもなく、単に”川を挟んでいる”というだけなんだけど、何だか無性に”縄張り意識”みたいなものが湧いてくるのね。でも、別の日に町なかでその子らに会えば、別になんでもなく普通にしてる。子どもって面白いものでね」。

■単に川を挟んでいるだけで生じる縄張り意識。

■うーん、「境」があると諍いをはじめるのは、なるほど、人間の本性なのかなぁ。

■じつは、全く別の日のとある歓談の場でも、やはり縄張りの話題になった。それは、最近中国の資本家が日本の森林=水源、つまりは「水資源」を買いあさっているらしい、という話。

■ヒグマと人との”棲み分け”の話をしている途中である方が、「はなしはちょっとズレちゃうんだけど…」とことわりつつ、この話題を投げかけた。

■その方いわく「日本人は島国体質で”縄張り意識”が外国よりも低い。だからそうして外国の資本が土地を買うことを危機感無く許してしまう。国として、主張すべきは主張して、護るべきは頑として護らなきゃ」と。

■僕自身はそうした中国資本による山野の買い占めに関する著書を読んだ経験や生情報に触れた経験はまだないので、いったいそれが本当のことなのか、確たる見識を持たない。

■さらにいえば、それが、ちまたで噂されているときに概ね伴う「中国脅威論」という”危機感”(もしくは”漠とした恐怖感”)とセットで取り扱われるべき問題なのかについては、よくわからない。

■ただ逆に、この噂がどうも「中国脅威論」を裏付けるための一つの道具として使われているような雰囲気さえも感じてしまうことがあり、僕自身は、この話題に対して軽々に”これは困ったもんだ!”と腹を立てたり危機感を覚えたりするのは避けようとは思っている。

■ともあれ、これらの歓談や雑談のなかで、僕は、縄張り、「境」について考えた。

■それぞれの存在がそれぞれに在ることは、それぞれの間に、互いを明瞭に分つ差異と境界があることによってはじめて保証される。

■そして、そうした「個」が集まって織り成す「社会」の綾というものは、個が個としてちゃんと確立しているほどに、つまり、個を成立させる「境」がしっかりしているほどに、より多様で奥深い様相を見せるのだろうとは思う。

■身近なところでは、たとえば、私と妻の間に厳然と横たわる「価値観の壁」。これは、かの万里の長城よりも果てしなく長く、高い(笑)。もしかしたら「女と男の生物的な差異」よりも、よっぽど深刻なものかもしれぬ。

■でも、その壁、その境があるゆえに、ともに生きる日常に喜怒哀楽のウネリが生じているのも確かだ。他人と一緒に生きるのは、確かにもの凄く大変なことではあるけれど、それにもまして、何ともいえぬ不可解な”面白さ”がある。むしろ、不可解ゆえのオモシロさ、といえようか。

■さらには、そこに輪をかけて異質な連中=”子どもたち”という、まぁ本当にワケの分からぬ存在が加わることで、生活のダイナミズムはさらにさらに活性を呈してゆく。

■思えば、あの、カンテレあらさんたちのライブで感じた絶妙な「グルーブ感」。音がひとつところに留まらず、常に形を変えて動き続け、生き物のように成長してゆくかのようなあの躍動感と高揚感。

■じつは、家庭というありふれた生活の場にも、つまり生が活き活かされる場においてもまた、そうしたグルーブやウネリは、快いものとしてちゃんとあるのだろう。(常にウネリすぎてると、疲れ果てるけど…)

■その要はなんだろう。

■個が個としてあること。ちゃんと「境」を自ずから獲得していること。

■でもそれだけじゃないんだろうな。その境が、ときと場合に応じて外に向かって自発的に開かれていくということも、大事なんだろうな。

■異質なものが、あるときどこかで融け合う。その融け合う瞬間を待ち望みながら、変容の瞬間を待ち望みながら、柔らかで確かな「私」としての境を準備しておくこと。

■そんなことを思った。

■固すぎて、一切の変容を許さない「境」は、拒絶と断絶、さらにその先に危機意識と恐怖を生むだけかもしれない。しかもその境が囲んでいる範囲があまりにも狭いと、そこに待ち受けているのは「自家中毒」という悲劇かもしれない。

■昨日6日の北海道新聞朝刊2面「月曜”考”」欄で昆虫学者の矢島稔さんも言っていた。

「狭くなったら危険です」

■なるほどなぁ、と思う。

■今日も新聞に、息子が親を殺した記事が載っていた。親が我が子を殺すという事件も、最近マスコミをつうじてよく目にする。

■僕はそれを目にしながら、やはり「境」、そして「狭さ」について考えてしまった。

■マスコミが流す情報の傾向をよりどころに軽々に社会状況を断ずる気はないけれど、ただ、身の回りで起きる出来事も含めたいろんなことがらを見聞きするにつけ、なんだかいろんな意味で「世の中が狭すぎる」のではないかなぁ、とは思う。その狭さ故の閉塞感の現れの一つとして、いま、さまざまな悲劇が立て続けにマスコミをにぎわしているのではないかと、個人的には考えている。

■人は自らの「境」をもっている。だから個として生きている。

■しかし、あたりまえのことだけれど、その境のすべてが、自分で意図し「よし!」と納得ずくで構築したものではない。誰でも、知らず知らずのうちに、身の回りの状況や他の誰かが規定し構築した境界線が自分を取り囲むのを容認しながら生きている。

■ただ、その「境」がくくる範囲が、なんだかちょっと狭すぎやしないだろうか、と思うのだ。そしてその「境」そのものが、のり越えようと思ったときにちょっと高すぎやしないだろうか、または何かに向けて開かれてゆこうとしたときにちょっと固すぎやしないだろうか、と思うのだ。

■「狭くなったら危険です」。自戒も込めて、このことは、その範囲をくくる「境」の問題とともに、大事に考えていこうと思う。

■そうだ、レオニの「あおくんときいろちゃん」、また読み返してみようかな。

| 備忘録 | 11:14 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

編集

取材/聴くこと

■30日、札幌からお客様。写真家の中島宏章さんとライターの林心平さん

■中島さんの発案である企画を進めているそうで、その取材対象者の一人として光栄にも取材をしていただいた。

■同業者であり若手気鋭の写真家・中島さんが企画し、また僕と同世代でライターとして各方面で大活躍中の林さんの取材とあって、僕もどうやらいささか余計に気合いが入ったようだ。我ながら、いや、よく喋った(笑)。

■でも、吐き出したことばや思いを誤解無く受け止めてもらえている(かもしれない)という安心感、さらには、もしかしたら共感をも覚えてもらえているかもしれないという甘美な期待感は、自ずと聴かれる側の人を饒舌にさせるのかもしれない。

■実際、聞き手の林さんの佇まいには、いささかの強引さも押し付けがましさも感じられず、また、こうした取材でよくありがちな”あらかじめ取材者サイドに既定ストーリーありき”ではない「取材のニュートラル感」があり、とても心地よく受け応えをさせていただいた。

■「聴く力」とは、姜尚中氏の著書名だったかな…。まあ姜氏はさておき、そうした、人の言葉に耳を傾ける力、能力、もしくは姿勢、心持ちというものが、人と人とのコミュニケーションの場にはやはり必要なのだなぁ、と、あの日のインタビューを振り返りながら思う。

■で、我が身に引きつけて考えると、結局写真家の資質として欠くべからざる能力も、やはりその”聴く力”なのかもしれないな、と思えてくる。

■時に饒舌で、時に寡黙で、時には全くの沈黙さえ呈するこの世界の風景、世界の万象。それに対しひたすら忍耐強く意識を向け続け、レンズの通して不意に立ち現れる刹那の光陰の綾、存在のウネリの様をそっとすくい穫る。

■それはまさに、”世界に聴き耳をたてる”行為に他ならないと、僕は常々考えている。

■いうまでもなく、「撮る」という行為は、決して「視角」だけによるのではなく、もっと総合的な感覚を緊張させ、かつ能動的に稼働させる行為だと思う。とりわけ「(撮るために)視る」ことと「聴く」ことは、意味的に非常に近似した営為なのではないかと感じるのだ。

■余談になるが、僕の2冊の拙著がどちらも「音が聞こえる/音を聴く」ことから物語りが始まってゆく構成になっているのは、まずもって僕の物語り構成力の恐るべき低能さの偽らざる証拠である訳だけれど、その一方で、じつは僕にとっての「写真」行為における「視る」と「聴く」がほぼ同義であるということを半ば無意識的に形にしてしまったということなのかもしれない。

■とまれ、聴く力。大事だ。

■しかしじつのところ、それはいま、そのテンションを保つのがとても難しい能力の一つかもしれない。

■敢えて「聴く」をせずとも、必要以上のものが自ずと「聞こえてきてしまう」、いま。

■むしろいまを生きる我々ヒトたちに本能的に求められているのは「如何に聞かずにいられるか/もし聞こえてしまっても、如何にそれを心に留めないでおけるか」という、”耳を塞いでいる力”の方なのかもしれない

■聴くことは、つまりその対象と「関わる」こと。それは時に、結構しんどい。

■特に、”強く”、”声高で”、”煽情的な”響きが周囲を充たしている時ほど、それらを真っ当に「聴こう」とするのは、かなりしんどい。

■そういうときは、ただ「聞かされる」に任せるか、もしくは耳を塞いでしまう方が、楽だ。

■でもそれだからこそ、いまこそ聴く力は鍛えられる必要があるのかも知れない。「聴き出す力」といってもいい。

■自ずと「聞こえてくる」声や音は、時として、ことさらに”聞こえ”がいいような加工がなされていたり、もしくは聞く者のしんどさを予め軽減するために音の”芯”が巧妙に抜き去られていたりする。誰かが、それをする。

■自ずと「聞こえてくる」音や声の向こう側に潜む、低くかそけき「背景音」をこそきちんと聴き取れる耳をもつこと。

■耳を塞ぎたくなることの多い昨今だからこそ、やはりしっかりと「聴く力」を磨いていたいものだとおもう。

■…と気づけば、中島さん林さんの取材の話題から、随分と脇道にそれてしまった。

■中島さん、林さん、またお会いしましょう!

| 備忘録 | 01:27 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

編集

カンテレとのコラボ!

■最新情報ページのイベント欄にも記載がありますが、来る9月10日、札幌市琴似にて(自分で言うのもナンですが…)とても素敵なコラボイベントを行います。

■フィンランド伝統楽器「カンテレ」奏者のあらひろこさんとの、音と写真と朗読のコラボレーションです。

■とにかく、カンテレが素敵!重ねて、演奏するあらさんご自身も素敵なのです。必見。

KANTE-Letter (あらひろこさんの公式HP)

ーーーーーーーー

◎「森の空気、森の音」~カンテレの調べにのせて

北欧フィンランドの伝統楽器カンテレ奏者・あらひろこさんとのコラボレーション。森の映像と「森のいのち」読み語り、そしてカンテレの音色が醸す静かでゆったりとした時間。午後に2回公演。

日時:9月 10日 (金), 15:00 ~ 20:00
場所:フリースペース&カフェ アミカ
(札幌市西区琴似2条3丁目1-10 011-631-2822)
時間:昼の部15:00~、夜の部19:00~
料金:1500円(小中学生500円、小学生未満無料)

| イベント | 22:32 | コメント(-) | trackbacks(0) | 先頭へ↑

2010年08月 | 月別の日記 | 2010年10月


bar.gif
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。